音楽活動をしていると、悔しい思いをすることがある。
- 自分よりも実力が下だな、と思っていたミュージシャンの曲が先に採用される
- 後輩バンドに先を越される
実力はそれなりにあるはずなのに、それが結果として現れないとあせってしまう。いらだったりすることもあるだろう。
音楽は勉強とはちがう。努力が点数になってすぐに見えるわけではないから、不安になってしまうんだよね。余計なことをあれこれと考えて、消耗することにもなる。
特にプロを目ざしている場合は、周りの状況が気になってしまうものだ。
目次
ぼくもそういう経験をしたことがある
あるとき、友人のギタリストと作曲チームを組んでいた。三年ほど一緒に曲を作っていたんだ。
彼は、ギターはうまいけど作曲の腕まえはまだまだだった。その彼の曲が、ぼくも参加したあるコンペで採用されることになった。
それまでぼくらの曲は(ふたりで作った曲も、それぞれひとりで作った曲も)一度もメジャーレーベルのコンペに通ったことがなかった。
ぼくは正直なところ、作曲に関してはぼくのほうがだいぶ上だな、と思っていた。それが、彼がひとりで作った曲だけ使われることになった。完全に追い抜かれてしまったんだ。
「よかったね、おめでとう」と彼には言ったけど、内心はというと、やはり穏やかではなかった。
最初のうち、彼はぼくが作ったメロディーに、アレンジを加えるだけだった。主メロ(ボーカルが歌うメロディー)を作ることが、とても苦手だったんだ。だからどこかで甘く見ていた。下に見ていたと言ってもいい。
ショックを受けたし、あせった。
「こんなことに影響されずに、もっとがんばらなきゃいけない」
そう思ったけど、ぐらぐらした気持を立てなおすことが、なかなかできない。当時は二十代だった。若かったこともあり、必要以上に悩んでしまった。時間を無駄にしてしまった。
こういう状況は、きみにも起こりうる。そのとき、ぼくと同じような失敗をしてほしくないんだ。気持を、できるだけ早く立てなおさないといけない。楽しく、有意義な創作活動をするために。
そのための考えかたを、今日は話すよ。
もしタイムマシンがあって、当時のぼくと会話することができるなら、ぼくはきっとこういうことを、傷ついている自分に話すと思う。そういう内容をまとめてある。参考になればうれしい。
いらだちやあせりは、なんとかして解消したいよね
きみ自身のために、解消したい。
いらだちやあせりは、きみときみの音楽にとってすごくマイナスだからだ。ネガティブな感情を抱えこんだまま作曲やバンド練習をしても、集中できない。作品や演奏が荒れる。楽しくないし、周りにもいやな思いをさせて、自己嫌悪におちいることもある。
マイナスな気持を抱えこんだまま強引になにかをやると、さらにひどい気分になったり、トラブルを招き寄せることになりかねない。
それは自分で自分を苦しめる行為だ。貴重な時間やエネルギーを浪費することになる。
(注)失恋の経験を曲にする、とか、世の中へのいらだちを活動のモチベーションにする、ということは可能だ。いい曲ができることもある。ただしそれは一時的なものだ。数ヶ月~数年、負の感情を原動力に音楽活動をつづけても、得るものは少ないとぼくは思う。
どうすれば、いらだちや焦燥感を消せるか?
身もふたもないことを言うけど、いますぐきれいさっぱり消すことは、難しいだろう。
ぼくらは人間だから、完全に忘れるためにはある程度の時間が必要だ。
無理なことに挑戦するのではなく、現実的に対処しよう。できるかぎり早く、負の感情を小さく、弱くする。その方が簡単だし、効果的だと思う。
一度、冷静になって考えてみよう
いまきみが囚われている感情――あせりやイライラ、不安、裏切られたような気持――が生まれる原因になった事件は、実はそれほど重要ではないかもしれない。
たった一度の失敗や、他人の成功が、きみの音楽活動すべてを否定できるわけがない。
つづけることで、必ず実力はつく。くやしい思いをした分、もっと真剣に練習できるかもしれない。過去の名曲を貪欲に研究するようになるかもしれない。もっともっと工夫をこらそう、と思えるかもしれない。
もしかしたら、きみが将来成功するために、いまのうちに一度、くやしい思いをする必要があったのかもしれない。
失敗や失望を、みんな味わっている
超一流のミュージシャンや、百年以上まえの時代を代表するようなクリエイターも、さらりと生きているわけじゃない。本当だ。そういう人の伝記を探しだして、読んでみるといい。
かならず一度や二度は、「おお……」とため息が洩れるような挫折を経験している。
つまづきや失敗、失望は、だれだって経験する。そこら中にあふれている。にわか雨に降られるようなものだ。
濡れたからって、くよくよしても仕方がない。他の人も濡れているんだし、笑い飛ばした方がいいんじゃないか。
一時の成功や失敗に囚われるのはやめよう
音楽活動・創作活動はずっとずっとつづく。
きみがプロを目ざしているなら、そしてベテランになるまでプロとして活動するつもりなら、活動期間は三十年以上になるはずだ。
小さなことを気にするよりも、三十年現役で居つづけるための経験と技術を自分のものにしたほうがいいんじゃないか。
つい最近まで同じような境遇だった知りあいのミュージシャンが、
- 契約を勝ち取った
- 周囲にちやほやされている
- 急にいい曲を作るようになった
- ツイッターやインスタグラムのフォロワー数が自分と2ケタちがう
- きみのあこがれのミュージシャンと共演したりしている
こんな状況になったとしても、あわてることはない。
きみはきみで、彼は彼だ。成功するための座席がひとつしかないってわけでもない。
きみが、彼と自分を比較するのは三十年後でいい。その三十年(いや、もしかしたら五十年かもしれない)のあいだに、きみにも彼にもいろいろなことが起こるはずだ。
いいときもあれば、悪いときもある。絶対に、どんな人にもある。きみはじっくり、着実に行けばいい。
あっと言う間に追い抜かれることもあるけど、追い抜くのも一瞬だ。波が来たときに準備ができていれば、一気に滑り出せる。ずっと遠くまで行けることもある。
返り咲いたミュージシャンがしていたこと
それまで人気があったミュージシャンが、急に新曲を出さなくなる。スランプのようだ。気がついたらほとんど話題を聞かなくなった。
こういうことって、よくある。そしてそのあと、返り咲く人とそのまま消えてしまう人がいる。
運などの要素もあるだろう。だけど最低限必要なこと――同時にもっとも大切なことは、『腐らずに音楽をつづけていた』ってことだろう。いいチャンスが舞いこんできても、それまで腐って練習をさぼっていたら、実力が発揮できない。
いったん消えたけど、そこから再び舞いもどった。いい曲をいくつも作っている。そういうミュージシャンに心当たりがあるはずだ。もし思いつかないなら、音楽仲間や家族に聞いてみるといい。
早い成功は、それほどいいものでもない
音楽に限らず、スポーツ選手や他の分野のクリエイターもそうだけど、若いうちに結果を出すと、メディアが大きく取りあげる。
周りもちやほやする。かっこいいし、ちょっとうらやましい。そう感じることもあるだろう。
充分な実力があればいいけど、偶然も手伝って、たまたまいろんなことがうまく行ったとすると、あとが大変だ。大切なことを知らないままプロとして活動しなければならない。
もしかしたらきみも、だれかのことを「いいな」「すごいな」と思っているかもしれない。でもその人は、ファンやリスナーが想像するのとは異なる感情を抱えているかもしれない。
10代、もしくは20代前半にデビューして、数年で消えるミュージシャンは本当に多い。一度プロになると、研究や練習に使える時間がぐんと減る。それまで自分の中に培ったものを利用して、新作を作ることになる。
だからプロになるまえに、できるだけたくさんの『いい素材』を溜めこんでおくべきだ。
- オリジナル曲のストック
- ギターやシンセサイザーのリフ
- 独特なリズムパターン
- 演奏のテクニック
- ユニークな作曲方法のアイデア
- 様々なタイプの人との付き合いかた・礼儀
- 金銭や各種条件の交渉のしかた
- 作業の進めかた・休みの取りかた
- 自分に合った身体と心のメンテナンス方法
- 気分が乗らないときでも、十五分後にはノリノリで創作をする状態に持っていくための、きみなりのメソッド
これらは、アマチュアのうちにしっかりと身につけておきたい。
遅咲きの人
早いうちに華々しくデビューする若手の裏に、遅咲きの人がいる。
ミュージシャンに限らず、芸人にも俳優にもいる。そういう人の方が安定感がある。たくさんの技も持っている。一旦人気が出たあとも、長いあいだ活躍する人が多い印象だ。
遅咲きの人は、充分なものをたくわえてから勝負の場所に出てきている。作品のストックはたくさんあるし、危機管理能力も高い。
一度浮かびあがるまでは、悔しい思いを人よりたくさんしただろう。しかしそれも、いったん成功すればぱらりと裏返る。
(以前は却下されたボツ曲が、一度うまく行き出すと「使わせてください」となることもある)
世間の意見はころころ変わる
この考えかたも有効だ。
きみに対する『現在の評価』は、強固なものではない。なにかのきっかけでがらっと変わる。
それにみんな、だれかが少々の失敗をしたところで気にとめない。すぐに忘れる。みんな自分のことで精一杯だからね。
(失敗を笑って話せるようなら、それは意外だから記憶にのこるだろう)
いまきみが悔しい状況にいたとして、それをしっかりと認識して、忘れないでいてくれるのは、家族や親友、恋人、音楽仲間ぐらいだ。ごく少数だろう。
そして彼らはたいてい、きみのことを応援している。
「うまくいくといいな」と思ってくれている。
だから、リラックスして自分の道を行けばいい。肩の力が抜けている方が、盲点になっている大切なことに気づく可能性が高まる。
道草や遠まわりは、楽しむべきだ。そこで得るものが必ずある。